|
|||||
リスティかわえええええええええ!!!!!
(緑茶)
だんだん暑くなってきたこの時期に食べるアイスは至福。
ちなみに最近ハマってるのは、こちら。
ハーゲンダッツの新作フレーバーはほぼ必ず試してますが、
中でもこのバニラプティングは定番ラインナップに入れて欲しいくらい美味しかった!
……今年はこれとガリガリ君(ソーダ)で夏を乗り切りたい。割と本気で。
(緑茶)
今では高級住宅地となっている世田谷区・豪徳寺。
中世にそこを治めていた豪族が吉良(きら)氏です。
吉良氏は室町幕府を開いた足利氏の庶流で、
「足利家に跡継ぎが絶えたときには吉良氏が継ぎ、吉良氏に跡継ぎがいなければ今川氏が継ぐ」
と言われたほどの名門でした。
江戸時代、赤穂浪士に討たれたことで知られる吉良上野介(きら・こうづけのすけ)もこの一族の出身です。
吉良氏には、三河国(いまの愛知県東部)を地盤にしていた本家のほかいくつかの分家があり、
この世田谷城はそうした分家のひとつ、武蔵吉良氏の本拠地でした。
城跡はいまでは「世田谷城址公園」という小公園となっており、公園内には土塁や空堀のあとが残っています。
Y字型に分かれた空堀跡。
石のブロックで固められていますが、
これは公園化工事にともなうもので、実際は石垣の城ではありませんでした。
世田谷城は室町時代を通じて吉良氏の居城となり、豊臣秀吉による小田原攻めののち廃城となりました。
公園内に残る遺構はその一部にすぎず、
全盛期の世田谷城は豪徳寺を中心にかなり広い範囲を城域としていました。
櫓台の跡と思われる小山。
公園内だけでなく、隣の豪徳寺の境内や民家の敷地内にも遺構が見られます。
なお、武蔵吉良氏は小田原の陣後も滅びることなく、
江戸時代には高家として幕府に仕えて江戸時代まで家名を保ちました。
(権)
最近編集部で、あるブームが起きています。
それはけん玉!
ある日、編集部のとりかわが飲み屋のおみやげで貰ってきまして、
それを見て私のけん玉魂が再燃したのが始まりです。
子供の頃にコロコロでけん玉漫画を読んでハマり、日々遊びまくったのが懐かしい……。
と思いながら遊んでみたら、昔の感覚を体が覚えていたのか、初歩的な技は結構成功するんですよ。
ただ、いかんせんけん玉が小さ過ぎて、飛行機などの大技は成功し難く、やきもきしておりました。
で、満足できなかった私は一念発起して、
日本けん玉協会認定の大きなサイズのものを買ってしまったのです!
左がとりかわのお土産けん玉で、右が協会認定けん玉です すると重心が安定したおかげで、技の成功率が飛躍的に上がりまして、 興味を覚えた他の編集部員が1人また1人と遊び始め、その魅力の虜となっていきました。 そして今では、多くの編集部員の日課となっております。 ちなみに私が現在挑戦しているのはすべり止め極意という技なんですが、これがまた難しい。 穴の部分を下に持ってきて、上がりきったところですべり止め部分に合わせるのがポイント。 しかし未だに成功していないので、今後も修行を重ねていこうと思います! (南町奉行)
先日仙台に行ってきまして、そのお土産に悩んでたところ、見つけたのがこれ。
「楽天イーグルス うまい棒牛タン塩味」
なんと楽天イーグルス版うまい棒マスコット入り。
誰得って俺得、というわけで購入。
コレを食べた人は、もれなくイーグルスファンになる呪い付き!
だったらいいなぁと思ったり思わなかったり。
なんにしても、もう少し打って欲しいと願う今日この頃でした。
(ずんだ)
とりかわです。
毎月チャレンジャブルなメニューを提供してくれる、
お隣のラーメン屋さんの限定メニュー第2弾です。
3月のメニューがこれ。
「クワトロフォルマッジョ」です。
なんかすごい名前で、写真的には分かりにくいかもですが、
つけだれに4種類のチーズを入れた、つけめんです。
魚介スープにチーズの風味が合わさって、まさに未体験の味わい。
4月はこちら。
「たっぷり野菜の味噌ラ~メン」と、その名の通り、
炒めた野菜がいっぱい乗っていて、味噌味とあいまって、うまうまでした。
そして、現在5月の新メニューは
こちら「ジャージャー麺」。
3色の野菜が目に鮮やかに映ります。
肉のうまみが、この店独特の魚介スープに意外と合う!
絶妙な甘さがたまらんでした。
月内にもう一杯、食べたいと思っています。
(とりかわ)
「当日中にレシートを持っていけば、コーヒーお代わり一杯100円」
という文言に惹かれて、最近ちょくちょくスターバックスへ行くようになったのですが、
そこでちょっと感動したこと。
よく目にするスタバのロゴの人魚さん。
アンニュイな微笑みを浮かべる彼女の全身が……こんなところに!
身体をくねらせて、手には香り立つコーヒーを持つそのお姿……ちゃんと(?)人魚だったんだなぁ。
知りませんでした。
(ずんだ)
平安~室町時代まで、いまの東京都23区の北部・西部は「豊島氏」という豪族に支配されていました。
豊島氏の東京支配の名残りは、23区の「豊島区」の名に残っていますが、
その豊島氏が鎌倉時代末期まで根拠地にしていた考えられているのが、この平塚城です。
平塚城のあった場所は、いまでは「平塚神社」という神社になっています。
神社はJR上中里駅方面に突き出した崖の端に位置しており、ここの要害ぶりを今も物語っています。
また、神社脇の崖下を通る坂道は空堀の遺構とも考えられます。
切り立った坂道。
「蝉(せみ)坂」という名がついています。
北区教育委員会の所見によれば「攻坂(せめざか)の転訛とも考えられる」とのこと。
豊島氏は、この城と西方の石神井城(現在の練馬区・石神井公園近辺)を根拠地として、
大きな勢力を持ちましたが、名将・太田道灌に攻められ1478年に滅亡。
平塚城も廃城になったと考えられます。
城跡に建つ平塚神社。
神社の裏手には、城名の由来にもなった土の塚があります。
この塚には、源頼朝がこの近辺に布陣した際に豊島氏に与えた鎧が埋められているそうです。
現在、塚は鉄柵で囲われて立ち入り禁止となっています。
門が開いているようにも見えますが……もちろん中には入りませんでしたよ。
往時の平塚城は、ここの北西にある王子神社や、
飛鳥山公園の周辺まで広がる大城郭だったと考えられています。
「東京の支配者」豊島氏にふさわしい城塞でした。
(権)
たまには食べ物以外のネタを提供したいとりかわです。
突然ですが、先月発売された「白衣の元繰術士と黒銀の枢機都市2」には、
「YES-NO枕」なるものが登場します。
ヒロインである士央が半ば店員さんに騙されて買ってきてしまう、
枕の両面にYESとNOとプリントされた枕です。
本来の使い方は、非常におとなの世界なので、あえて割愛します。
気になる方は、検索してみると割と引っかかりますよ。
で、そのおとなの使い方を知らずに士央がご満悦なのはさておき、
本文中でも「まだ現存していたのか?」的な扱い。
実はとりかわも、この存在のことを知りませんでした。
というか、創作の産物だと思ってたりとか。
で、ある日、昼ご飯を食べようと、入った店にはなんと……
天井の梁に飾られてる枕の中央には「YES」の文字が!
このありえない、もはやなんのドッキリだ!?
とも取れるタイミングでの出会い。
パチリと携帯で撮影させていただきました。
って、ほんとにあったんだ……疑っててすみません、藤谷先生orz
(とりかわ)
えいちじぇーい。文庫のみぞれです。
ところで、緊急事態発生です。
なにがかと言いますと、花粉のやつです。
このところ、アレルギー対策の点眼薬をさしています。
手の付け根を頬の張ったところにあて、目全体を下に引っ張るようにして
目の面積を大きくしたところでおもむろに投下。
点眼後、しばらくは気にならなくなりますが
眼科の先生からは最低四時間以上あけるように言われています。
でも四時間ももたないです。
点眼してすぐにもう四時間後のことを考えています。
完全に目薬中毒です。
ちょうどあと30分ほどで解禁される次の点眼がささやかな生きがいです。
ちなみに向かいの席のとりかわは、鼻洗浄という奥義で花粉に対抗しています。
あれはあれで気持ちよさそうです。
(みぞれ)
|
|||||
Copyright © 2021 HJ文庫/HJノベルスブログ - All Rights Reserved. |